当組合は、かっては旧福岡県遠賀郡の中心地として国県の出先機関が集まり鹿児島本線と筑豊本線が交わる全国でも大変珍しい鉄道が立体交差した交通の要衝として又石炭を運んだ水路堀川の要衝として古くから栄えた折尾にあります。
旧遠賀郡折尾町は、昭和19年(1944年)旧八幡市に編入され、現在は北九州市八幡西区折尾になっています。
旧遠賀郡折尾町は、昭和19年(1944年)旧八幡市に編入され、現在は北九州市八幡西区折尾になっています。
1891年当時の折尾には、「九州鉄道」と「筑豊興業鉄道」にそれぞれ駅が別のところにあった。1895年その2つの駅を1つに共有するため、筑豊興業鉄道の折尾駅に2階建て駅舎が建設され、1916年(大正5年)10月21日に改修されて以降、折尾駅を中心に発展し形成された商店街は、既に100年余りを経過したことになります。
自然発生的に誕生した商店街は昭和の発展と共に近代的に組織化され、折尾商連の前身である「折尾商工連合会」として昭和29年頃に設立されました。昭和61年10月 に法人化され、現在の「協同組合折尾商連」となり、構成する組合員数は約120名となりました。
商店街の形態としては、ターミナル型ですが、小倉、黒崎の商店街のようにメインとなるアーケード通りはなく、大きく3つの地区に分かれて商店が点在しています。
昭和53年の産業医科大学の開学と並行して周辺地域は広く開発され、学園都市にふさわしい町並みとなってきました。
昭和53年の産業医科大学の開学と並行して周辺地域は広く開発され、学園都市にふさわしい町並みとなってきました。
昭和60年以降折尾駅を中心とした商店街は、周辺地区への大型店の出店やロードサイドへの商業施設の増加により、空洞化が進み低迷をよぎなくされるようになりました。
しかしながら、九州で現在6番目の乗降客数を有する折尾駅を中心に若者で溢れた将来性と潜在力のある街であります。
しかしながら、九州で現在6番目の乗降客数を有する折尾駅を中心に若者で溢れた将来性と潜在力のある街であります。
平成15年4月には、北九州市ルネッサンス構想による「学術研究都市」の第2期部分が完成し、北九州市立大学の国際環境工学部や九州工業大学大学院、早稲田大学大学院や各国の諸研究機関などが開学開所し、益々学園都市の様相を呈してきました。
平成17年3月、国土交通省と北九州市により折尾地区総合整備事業の事業認可が下り、スタートした折尾駅周辺の「街路事業」・「鉄道連続立体化事業」や平成18年 12月に都市計画決定がなされた折尾駅南部地区の「区画整理事業」に着手した。これにより折尾地区は20年にも及ぶ長い工事の影響を受けることになりました。
平成17年3月、国土交通省と北九州市により折尾地区総合整備事業の事業認可が下り、スタートした折尾駅周辺の「街路事業」・「鉄道連続立体化事業」や平成18年 12月に都市計画決定がなされた折尾駅南部地区の「区画整理事業」に着手した。これにより折尾地区は20年にも及ぶ長い工事の影響を受けることになりました。
当組合は、地域の諸団体と協力して「おりお未来21協議会」を立ち上げ、将来繁栄する「折尾」の街づくりに参画しています。また、商店街が実施する諸事業を通して折尾の活性化やまちづくりに取り組んでいます。