HISTORY

見処・歴史

堀川開作(切通し)と疏水碑

堀川史跡

堀川の切抜き(切通し)

折尾の町を東西に分けて流れ る堀川は、中間市の唐戸の水門を源に洞海湾に注ぐ全長11,900mの人工運河である。今からおよそ380年前の元和年間に福岡藩主黒田長政が遠賀川の洪水防止のための放水路として造った。
県立折尾高校下の工事は、岩盤をくり貫いた難工事で、今でもノミの跡が残っている。近くには、堀川歴史公園と河守神社がある。

交通機関 JR折尾駅より タクシー7分
所在地 遠賀郡水巻町吉田東3-1

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堀川疏水の碑

水害防止と灌漑のために、黒田長政の命により栗山大膳が手がけたが、幾度かの中断を乗り越え180年後1804年に完成した。堀川は明治初期頃から、盛んに筑豊地方からの石炭運搬に利用された。この碑は、明治30年(1897年)堀川流域の16ヶ村の住民によって建立された。高さ5mの石碑には、「爾来災害至らず灌漑亦偏し、筑豊の徳沢を蒙ること幾三十余年、時人之を名づけて宝川と云ふ」と言う堀川をたたえる一文がある。

交通機関 JR折尾駅より タクシー7分
所在地 八幡西区北鷹見町12-29
堀川疏水の碑

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