HISTORY

見処・歴史

疋田小三次の墓・舎月庵

黒田藩と御家騒動

疋田小三次の墓

黒田騒動(1632年)の渦中の人栗山大膳の娘を妻にした井上周防(黒崎城主)の孫主馬正友は、藩主黒田忠之から嫌われついに所領を召し上げられ国外追放となる。
主馬の実弟忠三郎俊清は藩主のやり方に怒り、地行を返上し国元を立ち退くが、追っ手がかかり、俊清の家臣疋田小三次らは追っ手を切り伏せ、主人を小倉境まで逃し、折尾に残した三人の子供が気がかりで自宅に戻ったところを、捕らえられ、子供ともども拷問を受けるがこれに耐えた。翌年親子四人は処刑されたが最後まで武士道を貫いた姿に感動と同情を受けた。

交通機関 JR折尾駅より 徒歩8分
所在地 八幡西区東筑2-8
疋田小三次の墓

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舎月庵

井上周防之房は陣原に移り住み、その屋敷は東屋敷、西屋敷、花池、茶園、畑等があった。また、本町、裏町、袋町、福岡口などには家臣が住んでいた。
井上周防之房の住んでいた屋敷跡は舎月庵と言われ、藤の名所となって花見客で賑わっていた。庵の中には、十一面観音菩薩、庵の外には八十八体石佛が安置されている。

交通機関 JR折尾駅よりタクシー12分
所在地 八幡西区陣原4丁目9番
舎月庵

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